子どもの頃、
「安心」という感覚を知らなかった。
怒られないように。
機嫌を損ねないように。
空気を読んで。
正解を探して。
そんなふうに、いつもどこか緊張していた。
でも当時は、それが“普通”だと思っていた。
みんなもきっと、同じように生きているんだと思っていた。
大人になってから気づいた。
私はずっと、
「安全確認」をしながら生きていたんだと。
この人は怒らないだろうか。
ここにいて迷惑じゃないだろうか。
ちゃんとしていないと嫌われるんじゃないか。
それは性格じゃなかった。
弱さでもなかった。
ただ、安心できない環境で育ったから、
身についた生き方だった。
職場でうまくいかなかったとき、
私はいつも「自分が悪い」と思っていた。
でも本当は、
安心できない場所では、本来の力は出ない。
常に緊張している人が、
のびのび働けるはずがない。
それでも私は、
「頑張りが足りない」と自分を責め続けた。
安心を知らないまま大人になると、
・休むことが怖い
・頼ることが怖い
・甘えることができない
・決められない自分が許せない

甘える人。頼る人、仕事をさぼる人を見ると心がざわざわしていた
そんな状態になる。
でもそれは、欠陥じゃない。
生き延びるために必要だった反応。
今、少しずつわかってきた。
安心は、外から与えられるものじゃなくて、
少しずつ自分の中に作っていくものなんだと。
今日は責めなかった。
今日は無理しなかった。
今日はちゃんと疲れていると認めた。
そんな小さな積み重ねが、
“安心”の土台になる。
安心を知らないまま大人になった私は、
スタート地点が少し違うだけ。
遅れているわけじゃない。
壊れているわけでもない。
ただ、これから初めて
「安心」を学んでいくだけ。
それは、恥ずかしいことじゃない。
むしろ、とても静かで、
強いことだと思う。
「私は弱かったんじゃない。ずっと緊張していただけだった」と気づいた日のことも、ここに書いています。仕事がきつかった理由は、能力不足じゃなかった


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