何かうまくいかないことがあると、
反射的に浮かんでくる言葉があった。
「私が悪いんだ」
謝らなくてもいい場面でも謝ってしまう。
相手が不機嫌だと、自分のせいだと思ってしまう。
理由が分からなくても、とりあえず自分を責める。
それが、私の“普通”だった。
でも、ある日ふと立ち止まった
その日もいつものように、
何かが引っかかって、胸が重くなっていた。
そして、急に思った。
「この声、本当に私の声?」
冷静に考えると、
「私が悪い」と言い切れる証拠なんて、どこにもない。
なのに、なぜこんなに確信をもって
自分を責めているんだろう。
思い出したのは、空気を読む癖
子どもの頃、
家の空気が悪くなると、理由は分からなくても緊張した。
誰かが怒っている。
誰かが不機嫌。
その原因を探す前に、体が先に縮こまる。
「私、何かしたかな」
「私が静かにしていればよかったのかな」
そうやって、
原因を自分に引き受けることで、場を保とうとしていた。
『私が悪い』は、生き延びるための言葉だった
今なら分かる。
あの言葉は、
性格でも、考え方の癖でもなくて、
その場で生き延びるために身につけた反応だった。
自分を責めれば、
相手の機嫌を取れるかもしれない。
争いを避けられるかもしれない。
安全でいられるかもしれない。
子どもなりに、必死だっただけ。
声の正体に気づいたとき
「私が悪い」
その声をよく聴いてみると、
どこか幼くて、怯えている感じがした。
今の私の声じゃない。
あの頃の私が、必死に考え出した言葉。
そう気づいた瞬間、
自分を責める気持ちが、少し緩んだ。
もう、全部を引き受けなくていい
今もまだ、
条件反射のように「私が悪い」が出てくることはある。
でもそのたびに、こう言っている。
「それ、昔の癖だよね」
「今の私は、もう大丈夫」
自分責めをやめようとしなくていい。
ただ、それが誰の声だったのかに気づくだけでいい。
それだけで、心は少し自由になる。


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