ちゃんとしなさいが聞こえなくなった日

回復の途中

『ちゃんとしなさい』が聞こえなくなった日

ある日、ふと気づいた。

いつも頭のどこかで鳴っていた声が、静かになっていた。

「ちゃんとしなさい」
「そんなことじゃダメ」
「もっと頑張らないと」

気づけば、それが当たり前のBGMみたいになっていた。
だから音が消えたことに、最初は少し戸惑った。
安心なのに、どこか落ち着かない。


その声は、ずっと私の中にあった。

何かを決めるとき。
失敗しそうなとき。
人と比べてしまったとき。

いつも先回りして注意してくる。
間違えないように、恥をかかないように、置いていかれないように。

でも今思えば、その声はとても厳しかった。
優しさよりも、正しさを優先していた。


じゃあ、あの声は誰のものだったんだろう。

はっきりと誰かに言われた記憶があるわけじゃない。
でも、空気のように漂っていた言葉。
家の中、学校、社会。

「ちゃんとしている人が評価される」
「我慢できるのが大人」
「弱音は迷惑」

そういう無数のメッセージが、いつの間にか自分の声みたいになっていた。

完璧主義になっていった


以前、「『私が悪い』は、誰の声だったんだろう」という記事で、 自分を責める声の正体について書いたことがある。 あの頃は、声に気づくことが精一杯だったけれど、 今はその声が“静かになる段階”に入ったのかもしれない。

声が聞こえなくなった日も、
何か特別な出来事があったわけじゃない。

仕事を急いで決めなかった日。
無理に元気なふりをしなかった日。
「今日はここまででいい」と思えた夜。

少しずつ、無理をやめていただけだった。


声が消えたあとの世界は、とても静かだった。

決断は遅くなった。
迷う時間も増えた。

でも、不思議と心は荒れなかった。
焦りはあっても、責める声がいない。

「まだ決めなくていい」
「今は様子を見る」

そんな言葉が、自然に浮かぶようになった。


昔の私は、すぐに決めていた。
止まるのが怖かったから。
考えすぎる前に動いていた。

でも今は違う。

止まっている時間も、ちゃんと意味があると感じられる。
何も起きていないようで、内側では静かに整っている。


「ちゃんとしなさい」が聞こえなくなったのは、
怠けたからでも、ダメになったからでもない。

自分を信じる練習を、無意識に始めていたからだと思う。


静かさは、後退じゃない。
回復のサインかもしれない。

もし今、あなたの中でも
あの声が少し小さくなっているなら、
それは悪い変化じゃない。

ちゃんとしなくても、大丈夫な場所に
心が戻り始めているだけかもしれない。

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